生誕250年アレクサンダー・フォン・フンボルト☆250Jahre Alexander von Humboldt [A.v.Humboldt]
<アレクサンダー・フォン・フンボルトがペルーで見つけ描いた絵>
ALEXANDER VON HUMBOLDT 〟REISEN IN DEN TROPEN AMERIKAS”
出版社 1969 Deutsche Verlags-Anstalt GmbH., Stuttgart
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Humboldt Uni. Invalidenstraße
アレクサンダー・フォン・フンボルト
(1769/9/14 ベルリン– 1859/5/6ベルリン)
Alexander, Freiherr von Humboldt
■Naturforscher 自然科学者
Physik物理, Chemie化学, Geologie地質学, Mineralogie鉱物学, Vulkanologie火山学, Botanik植物学, Vegetationsgeographie植物地理学, Zoologie動物学, Klimatologie気象学, Ozeanographie海洋学, Astronomie天文学
■フンボルトの名前は何百も 川、山、植物、町、動物、発明品、船、学校、研究所などにつけられている。(フンボルトペンギンetc.)
フンボルト生誕250年
↑◇https://www.berlin.de/kultur-und-tickets/tipps/humboldt-jahr/
フンボルト特別展 ハンブルク大学
↑◇https://www.cenak.uni-hamburg.de/ausstellungen/museum-zoologie/humboldt-lebt.html
ベルリン・フンボルト大学(Humboldt-Universität zu Berlin)
アレクサンダーの兄で言語学者・政治家のヴィルヘルム・フォン・フンボルト(Wilhelm Freiherr von Humboldt 1767/6/22 – 1835/4/8)によって創設される
↑◇https://www.hu-berlin.de/de/service/veranstaltungen/250-jahre-alexander-von-humboldt
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■1796年11月 母(55才)の死亡によりアレクサンダー・フォン・フンボルト(27才)は
遺産10,000,000タラーを相続する。その頃の大工の一年の収入は200タラー
■1799年~1804年
1799/3/15 スペインの植民地の南アメリカへ調査の旅の許可が下りる
1799/6/5 スペインラ・コルーニャ(LaCoruna)からフリゲート艦「Pizarro」でフンボルトとBonplanは旅立つ
1799/7/16 南アメリカの地、現在のベネゼーラの海岸Cumanaに初めて一歩
1804/3/7 メキシコ出発 3/19~4/29 キューバ
1804/4/29 貨物船(Frachtshiff)でフィラデルフィアUSAに行き、6/30 まで留まる
ワシントンにもおもむき大統領トーマス・ジェファーソンにも何度か会っている
1804/6/30 「Favorite」でフィラデルフィアを出港
1804/8/3 南米へ旅立って5年後、ボルドー(Bordeaux)に戻る
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1826年12月(ワイマール) ゲーテ(77)は心弾ましてエッカーマンに語った。
「今朝、アレクサンダー・フォン・フンボルトが何時間かぼくのところにやって来た」と
↑-------Eckermann:Gespräche mit Goetheより--------------↑
J.W.v.ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe1749/8/28 - 1832/3/22)
Faust I (1808年発刊) Faust II( 1832年発刊)
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フンボルトの強い影響を受けた人物には、チャールズ・ダーウィン(1809/2/12 - 1882/4/19)がいる。フンボルトの『新大陸赤道地方紀行』(Reise in die Aequinoctial-Gegenden des neuen Continents)ほど情熱をかき立てられた本はほかにない」とダーウィン自身が証言している。
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「絵本で覚えるドイツ語」
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